八日目の蝉のネタバレ!映画の結末や原作・ドラマのラストとの違い
八日目の蝉・映画版の結末をネタバレしていきたいと思います!
また原作やドラマのラストとの違いに関しても考察していきますよ~。
八日目の蝉の映画の結末をネタバレ
八日目の蝉には「蝉は普通は七日しか生きられない。八日目を生きるということは他の蝉には見られなかったものを見ることになる」意味が込められています。
普通の人は違う境遇に生かされている人はみんな八日目の蝉という意味で捉えらえる気がしますので、個人的には、登場人物全員が八日目の蝉なんじゃないかな~と思ってます。
恵里菜が不○相手・岸田との子を身籠ってから結末までのおおまかな流れ▼
恵里菜も岸田という不○相手との間に子供を身籠ってしまうという希和子と似たような境遇にさらされる。
誘拐された母親について話して欲しいというルポライターに出会う。そのルポライターは昔エンジェルホームでよく遊んでいたマロンであった。
マロンの提案で恵里菜はかつて母親と時を過ごした小豆島に渡る。
そこで母・希和子と過ごした時間を少しずつ思い出す。
そして島の写真家で見た自分と希和子が写っている写真を見て泣き崩れ、自分が希和子に愛されていたことを実感する。
薫として愛されていたことを実感した恵里菜は、自分の身籠った子を産むことを決意する。
最後に本当の母・恵津子にその決意を伝え、2人の確執はとれたかのような描写で終わる。
最後まで一貫して”母と子”という視点が意識されていますよね~。
映画と原作・ドラマのラストとの違いは?
ラストの違いに関してのポイントは“結局希和子と再会出来たのか?”にあると思います。
映画、原作、ドラマのそれぞれの再会に関するラストを簡単に書くと▼
- 原作:お互いを認識しないですれ違う。
- ドラマ:希和子の呼びかけに一瞬恵里菜が振り向くが、すぐに振り返ってしまう。
- 映画:そもそも希和子が出てこない。
原作は薫と呼びかけようとしたが、いつも薫と同年代の子に呼びかけてて不審がられていたことから呼びかけませんでした。そしてすれ違ってしまいます。(そう考えると切ない…)
ただ、どことなく薫と認識していたような描写はあります。
ドラマは呼びかけに恵里菜が振り向いたような気がするという希和子の妄想のような感じもするので、これも正確には再会してないような気もしますね。
映画版はそもそも裁判以降希和子が出てこないので、再会に関しては論外ですね。
ただ、原作を俯瞰的視点、ドラマを希和子視点、映画を恵里菜視点であるように見ると実はどれも同じことに感じるような気がします。
希和子視点で見ると薫(恵里菜)が振り返ったような気がする(ドラマ)
恵里菜視点で見るとそもそも希和子の顔を思い出せないので仮に近くにいたとしても気づかないのでいないように描写される(映画)
ドラマ・映画の状況を俯瞰的に見るとただすれ違っただけのようにしか見えない(原作)
まぁ管理人の予想ですけどねw
あとドラマ版に関しては議論が結構凄いです。
基本的には「両方共気付いていない」「希和子だけが気付いた」「希和子も恵里菜も気付いた」の3つに分かれるようですね。
正解は監督のみが知るところなので分からないのですが、それぞれの解釈で見れば良いんじゃないかと思います!